淡水紅毛城と周辺歴史建築群

淡水は元々平埔族(平地に住む先住民族)に分類されるケタガラン族が生活していたが、漢民族による開墾や、開港と通商に伴って西洋文化が台湾に入ってくると、西洋の宗教、建築、医療、教育などが淡水を拠点として台湾各地へと広がっていく。

そんな時代とともに特殊な建築様式が保存されていく。川沿いには商業や輸送に関する施設があり、行政や防衛に関する施設は高台に、そして教育や宗教に関する施設は後方の山頂部分に設置されていった。こうして生まれた特殊な集落スタイルは、世界遺産登録基準第2項に合致している。

また淡水は、ヨーロッパの宣教師、医師、教育者、外交官、商人らと強い関連性がある。学校、城塞、領事館、ヨーロッパの商人、そして地元の商人たちによって作られた都市形態がそれにあたり、この集落と貿易港の戦略的地位は、それぞれの統治権力が世界に影響する決定を下すとともに、この地域の思考、信仰、伝統にも影響を与えてきたことを残している。特にヨーロッパ人と現地住民の活動空間にあった顕著な隔たりによって作り出されたこの町の風格は、かつてこの町に住んでいた人々の生活スタイルと規範を伝える有形記憶でもあり、世界遺産登録基準第6項に合致している。

当会主催「楽習会」「視察」等における、上記候補地に関わるレポート