楽生療養院

ハンセン病は、1873年にノルウェイのアルマウェル・ハンセン博士によって発見されたと言われる病気です。

我が国においては、1907年から1996年まで隔離政策が採られており、当時「日本」だった台湾でも、1930年に「楽生院(現在は楽生療養院と改名)」が設立されました(東京都東村山市の国立ハンセン病資料館では、これらの台湾における経緯や現状について、複数の実在人物の証言を見聞きすることができます)。

その後、この病は遺伝せず感染力も弱い、そして早期治療により完治することが確認され、楽生院も当初入居者1,118人が、2007年には312人になっているそうです。

近年、台湾ではこの病を「漢生病(ハンシェン)」と表記を変え、暗い表現から前向きな表現に変える取り組みが行われているそうです。

ー会員誌「恵風」より抜粋

楽生療養院の建物は日本統治時代と戦後の国民政府時代の建築の特色があり、医療施設と隔離空間という機能を持ち合わせています。衛生設備の計画、強制隔離に即したその配置は非常に特殊で象徴的な意義を持ち、公共衛生、歴史、建築、環境計画、人類学など各分野の学者から、研究対象として強い関心を集めています。院内の治療スペースと生活空間の配置と機能的な建築、社会復帰のための施設は、ハンセン病医療と公衆衛生発展の歴史を体現しており、ハンセン病療養所の隔離という特殊性と、歴史的意義を持っています。また、かつてハンセン病患者が社会的に弱い立場におかれていたことが示されており、世界遺産登録基準第2項に合致しています。

時代の変遷と経済の発展により、楽生療養院周囲の環境、自然景観も次第に変化し、入所者の生活の場も変わり続けています。過去から現代へと時代が移り変わる中、かつての「閉鎖、隔離」は、「開放、抗争」へと変化、楽生院の役割も、ハンセン病患者の強制収容施設から、患者のための療養所と地域医療機関へと変わってきました。これは、楽生院が「不可変と不可逆」の条件下、環境と互いに影響し合いながら、社会の変遷に適応した重要な証拠であり、世界遺産登録基準第5項に合致しています。

引用元:楽生療養院-Potential World Heritage Sites in Taiwan (boch.gov.tw)

当会主催「楽習会」「視察」等における、上記候補地に関わるレポート