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【報告】3/17実施楽習会 「世界遺産石見銀山と九份・瑞芳金山」

沢山のご参加ありがとうございました

 2019年3月17日、第四回楽習会は、わが国が誇る世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」と、台湾九份・金瓜石の金山について、世界遺産アカデミー認定講師であり、当会理事である飯島一隆より、実際に足を運んで体験したこと、現地で実踏調査により学んだことを踏まえて講演致しました。

 下記に簡単にご報告いたします。なお、会員の方には専用の会報にて、さらなる詳細を記載しております。

↑石見銀山を遠方に

■藤田組による鉱山開発

島根県大田市に位置する石見銀山遺跡は、16世紀に朝鮮半島を渡って伝播した灰吹法による銀の精錬技術により、良質で大量の銀が採掘され、最盛期にはヨーロッパまで銀が流通し、文化の交流が見て取れるとして、2007年に「石見銀山とその文化的景観」として世界遺産に登録されます。

一方でこの石見銀山には、明治時代に藤田組(現DOWAホールディングス)により築き上げた銀の精錬所跡「清水谷製錬所跡」を含むのですが、当時の藤田組が、じつは台湾でも同じように鉱山開発を行ったところがありました。それが台湾の世界遺産登録を目指す18ヵ所の候補地の一つ、金瓜石の鉱山だったのです。

■構成資産 銀山柵内に含まれる「清水谷製錬所」と金瓜石「十三層遺跡」

 石見銀山では、14か所の構成資産のうち、観光で最も訪れる機会の多い「銀山柵内」が世界遺産登録の中核の一つになっています。そしてそのエリアに含まれるのが、清水谷製錬所です。石見銀山としての観光スポットとしてはメインではないかも知れませんが、ここが台湾と大きなつながりがあったのです。

↑清水谷製錬所跡

清水谷製錬所は、明治28年に藤田組が20万円(現在では約20億円)かけて作ったもので、富岡製糸場が24万円だったことからも、かなりの資金を投入して造ったことになります。精錬法は当時の藤田組の任命による、武田恭作が編み出したもので、精錬所も藤田組が作り上げたものです。しかしわずか1年半で銀が想定ほど産出されないことが判明し、操業停止となりました。

その一方藤田組は、ほぼ同時期に台湾へ進出します。とりわけ1896年から1916年の20年間は瑞芳鉱山の開発に力を尽くしたようです。まさに清水谷製錬所の段々になっている台地は、金瓜石の十三層遺跡とそっくりです!

↑金瓜石 十三層遺跡

1890年、かつて金瓜石を含む水湳洞では、偶然にも砂金が見つかったことに端を発し、清国による砂金局を設置されます。日清戦争後、1896年日本政府による藤田伝三郎に瑞芳と九份、田中長兵衛に金瓜石の採掘権を与え、藤田組は石見銀山から、瑞芳山への技術者や管理職を派遣することとなりました。

ただ思わしい結果が出なかったために撤退しますが、石見銀山と金瓜石、遠く離れていても、清水谷製錬所跡からは金瓜石にそびえる十三層遺跡を連想させてくれますね!

■日本と台湾、ともに手を取って相互交流を

石見銀山調査の際に、「石見銀山ガイドの会」の会長含め、様々にお話をいただく機会がありました。当会についての目的と活動について話をしたところ、とても興味深い、ぜひ会全員でお越しください、とおっしゃっていただけました。過去大田市と金瓜石黄金博物館とで共同のシンポジウムを開いたことがあるそうですが、その後大田市の職員が金瓜石に訪問し、さらにその後、ガイドの会も数名金瓜石を訪れたそうで、その時の感動は今でも覚えているという話も聞きました。今一度、今度は国や県、市ではなく、私たち民間で金瓜石と石見銀山の相互交流を図っていくのもいいかもしれません。