阿里山林業鉄道と沿線景色の映像を背景に、郷愁を感じる演奏をお伝えします!
開催日時:2026/10/10(土)開場: 19:00 / 開始: 19:30 / 終了: 21:00
開催場所:渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
予約と販売は以下のサイトで承ります。
阿里山林鉄音楽紀行【台湾世界遺産登録応援会】 | 渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール

阿里山林業鉄道と沿線景色の映像を背景に、郷愁を感じる演奏をお伝えします!
開催日時:2026/10/10(土)開場: 19:00 / 開始: 19:30 / 終了: 21:00
開催場所:渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
予約と販売は以下のサイトで承ります。
阿里山林鉄音楽紀行【台湾世界遺産登録応援会】 | 渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール

2026年8月8日から3日間、世界遺産「佐渡島の金山」の視察と、佐渡における台湾との関わりを求めて、理事や会員約10名で佐渡島に訪問しました。視察のポイントは、
①国内27か所の世界遺産のうち、日本の世界遺産条約締結直後は国の一本釣り、その後は自治体からの推薦で決まっていきましたが、ここ佐渡島の金山は民間の研究者や地元議員からなる保存団体の推進によって始まりました。台湾の候補地で活躍する民間団体の助けとなればと、佐渡の保存団体による勉強会を行いました。
②佐渡の出身で台湾で活躍された山本悌二郎(台湾製糖の創始者のひとり)氏を巡って、佐渡に残る山本氏の銅像や別荘を訪問しました。
③山本悌二郎の銅像をきっかけに佐渡と高雄の親交に大きく寄与した、若林素子氏が主催するイベントに参加し、このイベントのために来島した高雄をはじめとする行政・学校関係者と懇親し、当会の活動を広報しました。
《主な行程》
8月8日(土)佐渡両津港集合→佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」→金山坑道見学→北沢浮遊選鉱場跡
8月9日(日)たらい舟体験→山本悌二郎別邸見学→宿根木の町並散策→“「佐渡島の金山」を未来につなぐ会”との意見交換→日台交流イベントの鑑賞→懇親会
8月10日(月)学校を改築した酒蔵見学→山本悌二郎銅像にて若林氏からの解説→大膳神社見学→トキの森公園見学

”佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」”
一行はまず、相川地域に向かい、世界遺産としての金山の価値を理解すべく、当該センターを訪問。主に映像を中心に理解を深めながら、要所要所で佐渡市の世界遺産係の職員 市川氏より説明を受けました。
映像はまず、江戸時代、佐渡は天領として幕府により(現在でいう行政主導で)金山が開発されることで、世界を支えた金(銀・銅)の鉱山として発展した歴史の説明があった。次に間歩の成り立ちや鉱山町の発展、そして金の産出から小判づくりの過程、最後に明治以降の近代的な開発について解説がありました。
市川氏の説明によると、世界遺産としての金山の価値は、平安時代~昭和の閉山に至るまでの長い歴史の中で、主に江戸時代に焦点を当て、世界中の鉱山が近代的な機械によって開発されていた中で、手掘りや大流しという水を用いた手作業で大量生産、高品質の金を得たことが普遍的価値であるとのことでした。
”史跡佐渡金山”
その後一行は、その説明の証拠を見るため、車で10分ほど山に向かい、実際に世界遺産の構成資産の中心である坑道に向かいました。
坑道では、今回3日間佐渡で随行した、佐渡市に出向中の飯島アドバイザーから解説を受けながら歩きました。真夏にも関わらず坑道内は10℃近い涼しい気温が保たれており、江戸時代の坑道、道遊の割戸、そして明治以降の機械工場や開発された坑道を通り、約1時間を過ごしました。
飯島氏によると、坑道は明治に国から民間事業者(三菱合資会社)に払下げとなった後も開発が続き、鉱山としての閉山後、現在は三菱マテリアルのグループ会社である「(株)ゴールデン佐渡」が所有となって世界遺産登録前から観光開発をしているとのことです。世界遺産としては、出向中の佐渡市だけでなく新潟県、そして文化庁や外務省等の国と連携して、ユネスコと協議・報告しながら価値の周知や活用を進めているとのことでした。
”北沢浮遊選鉱場跡”
金山の麓には、明治時代以降に開発された鉱石の精錬所等の施設が、荒廃して緑が広がった、美しい廃墟のように佇む工場跡地がありました。参加者の中にはここが目的の一つとして佐渡に来たという方もいるほど、佐渡のシンボルにもなっているようです。
飯島氏によると、現在は佐渡市の観光部局で夜のライトアップを行っていることもあり、年々観光客が増えているとのことです。また、隣の相川技能伝承館にて、鉱山の土を使って造られる伝統工芸である「無名異焼」による陶芸や、古布を再利用した「裂き織り」は鉱山労働者の保護着として使っていたとする話もありました。
“「佐渡島の金山」を未来につなぐ会”
小木地域の公民館を借りて、佐渡の金山を世界遺産登録に繋げた発起人の一人である、中野洸氏(元新潟県議会議員、現 佐渡島の金山を未来につなぐ会の会長)らと面会し、勉強会を実施しました。
中野会長は、1996年に石見銀山が暫定リスト入りすることを受け、同じく佐渡出身で石見銀山の調査をされていた鉱山史学者の田中圭一先生に相談を持ち掛けたそうです。
1997年に「世界文化遺産を考える会」設立、中野会長は県議会議員であったことから佐渡の市町の首長を説得に尽力。2004年に現在の一市である佐渡市に合併後も尽力され、新潟県に世界遺産室を設置する機運に繋がり、県議連が発足し、中野会長は議連の会長に就任しました。
その後市や国も議連を作り、民間から政治に働きかけを進めていき、見事世界遺産登録に繋がったようです。

”山本悌二郎 別邸”
佐渡の南西の小木地域には、矢島・経島という、1300万年前に海底火山活動による、大量の溶岩や火山からの噴出物が堆積した小島があり、ジオパークのジオサイトでもあり、たらい舟の観光スポットがあります。
そして経島には明治初期に佐渡出身で農林大臣まで出世した山本氏の別荘があります。
山本氏はドイツで学んだあとは1900年に台湾に台湾製糖(のちの三井製糖)の設立に参画し、1902年に同社の最初の工場(橋仔頭工場:現在は博物館)が高雄で操業、1925年には同社社長も務めます。この頃日本は砂糖消費量の98%を輸入に頼っていたとされ、民政長官であった後藤新平は、台湾政策の中心の一つに糖業奨励を推進することにした背景があり、台湾に近代式の製糖会社を設立することを目指し、国の補助金を受けて三井物産が台湾製糖を設立したのです。
ところで今回の視察では会員の鳥居氏が参加していましたが、彼の祖父、鳥居信平氏は山本氏と大きな関わりを持っていました。
鳥居信平氏は静岡出身で、東京帝国大学農科大学を卒業後、農商務省などを経て、1914年に農業土木の専門家として台湾製糖へ入社します。最初に実施したのは、社有地の農場を対象とした灌漑排水事業で、その収量増大に貢献しました。
この業績もあってか、1918年に山本悌二郎がジャワを訪問した際に、その随伴員として鳥居信平氏が同行することになり、ジャワの水利施設、農業施設をくまなく見学することが出来たとされ、これが両者の関係性が示される初めての記録となります。
その後、鳥居信平氏は1923年、屏東県に二峯圳(地下ダム)を整備し、山本氏も訪問した記録が残されています。なお、この地下ダムは、山本社長の雅号「二峯」から「二峯圳(にほうしゅう)」と命名されたのですが、この二峰とは、読んで字のごとく2つの峯、つまり山本氏の故郷である佐渡を示したと言われています。
そして台湾製糖は1920年には高雄にあった本社が屏東に移転し、東京支社が麹町に置かれて発展し、そして台湾の土壌も開墾されていきました。これらの成功は山本悌二郎と鳥居信平、二人の活躍があってこそのものです。
今回、そんな一連の話を、別邸の管理人とともに、鳥居信平の孫を交えて話ができたことは、とても運命的なものを感じざるを得ませんでした。

”山本悌二郎 銅像”
真野地域にある真野御陵には、山本氏の記念碑が置かれていました。この記念碑はかつてあった銅像のレプリカなのだそうです。今回、この銅像を巡って、日本と台湾の交流に大きな貢献をなされた若林素子氏から話を伺うことができました。
2009年、台湾の著名な彫刻家である”黄土水”の作品を研究されていた方が、佐渡に山本氏の銅像があることを突き止め、それも含めて黄土水氏に関する学術論文を発表しました。その論文を台湾の高校教師の目に留まり、2017年の春、高校生をつれて佐渡に来ることになり、若林氏に連絡をとりました。
若林氏はその時に初めて、黄土水氏のこと、そして山本氏の銅像が佐渡にあることを知り、驚きを隠せませんでした。なぜなら、彼女の父が雲林県虎尾の製糖工場で勤務していた関係で、若林氏自身が幼少の頃過ごしたサトウキビ畑と高雄市の橋頭製糖工場にあったはずの銅像を子供ながらに記憶しており、同じものだったからです。
なぜ高雄にあった銅像が佐渡に?
山本氏の話に戻りますが、1925年に社長に就任したあとは、1927年に農林大臣に任命されたことで台湾製糖を去ることになります。この時、東京で活躍されていた黄土水氏が山本氏の銅像を製作され、1927年制作の銅像として高雄の橋仔頭工場の正面玄関に設置されます。
この銅像は台湾が蒋介石政権となった1960年に日本に返還され、その後「山本悌二郎先生顕彰会」の働きにより真野公園に移設されたそうです。
若林氏にとってのこの運命的な再会を機に、若林氏は、銅像が日本と台湾の交流の懸け橋になること、そして本来あるべき高雄に戻すべきだと考えました。そして台湾国立美術館と台湾文化省、駐日代表処をはじめ、日本側は佐渡市や学識者の力添えを得て、ついに2022年に、高雄市と佐渡市を動かして銅像は高雄へ帰還することとなりました。
なお現在の佐渡の真野公園には、銅像のレプリカが置かれています。

若林氏が運営するスタジオPALは今年で創立40周年を迎え、この8月9日にこれを記念した日台交流ダンスイベントが開催されました。
開催場所は佐渡で最も大きいホールであるアミューズメント佐渡で、ダンスを披露したのは卒業生を含む生徒約140人、そして台湾からも多くのダンサーが来訪しました。もちろん観客も佐渡市民のみならず高雄市をはじめ台湾中の学校の先生や生徒たちが訪れ、若林氏が描いたとおり、銅像やダンスを通じて日本と台湾の交流の懸け橋となっていることを感じました。
佐渡市に勤務する飯島氏の話によると、8月7日には佐渡の両津で祭りが開かれていたが、このイベントに合わせて前乗りしていた高雄の学生たちも祭りに参加しており、町内放送でも大きく紹介されていたとのことでした。
飯島氏と若林氏との事前の話し合いを経て、今回ミニスタディツアーの参加者も8月9日のダンスイベントに参加し、夜は若林氏および台湾からの来訪者とともに当会の紹介や交流の機会に恵まれました。


ツアー名『もう一度台湾へ行こう!「台湾世界遺産登録応援会」が推奨する世界遺産候補地へ 学んで旅する台湾魅力発見の旅 5日間』
2025年10月9日現在、2026年3月18日出発の催行が決定となりました!まだわずかに空席がございます、奮ってお申込みください!お申込みは下記クラブツーリズムのウェブサイトへ!
当会ではこれまで、当会自身で会員向けのスタディツアーを幾度と実施してきましたが、当会そのものの認知度や、台湾の世界遺産候補地の認知度の不足等の理由から、広く一般の旅行者を候補地に送客するに至りませんでした。
この度、大手旅行会社クラブツーリズムの多大なるご理解とご協力の元、当会設立以来初の旅行商品が企画され、発売されたことは、当会においても世界遺産候補地においても、大いなる一歩であると考えます。
まだ知られざる台湾の文化や自然を学びつつ、クラブツーリズムならではの安全・安心・そして満足のいく旅をお楽しみください!
【ツアー概要】
出発地:成田発
日 数:4泊5日
旅行条件:最少催行人員10名/各出発日 朝食4回、昼食4回、夕食4回 添乗員なし(現地係員あり)
ツアー内容:当会が啓蒙する世界遺産候補地のうち、以下5か所を巡ります。
桃園台地陂塘: 古来より農作には適さない大地を、灌漑施設として開拓してきた3,000以上ものため池。100年経った今では、地域住民の開拓の精神と野鳥の生息地として引き継がれています。
烏山頭水庫及び嘉南大用水路(烏山頭ダム): 20世紀に日本政府と派遣された八田與一技師によって当時革新的な技術で建造されたダムによって、周辺は一大農作地として生まれ変わりました。その軌跡を解説員がご案内します。
大屯山火山:200万年以上もの間の噴火と造山活動により形成された大地と、高湿多雨な気候により育まれた希少な動植物や生息環境を解説員がご案内します。(ガイド通訳対応予定)
淡水紅毛城:17世紀以降、西洋による城塞や砲台等の防衛設備の建築に始まり、外交・宗教・教育の伝播による、城塞や領事館・学校等が建築されてきた文化の交流の歴史を辿ります。
金瓜石集落:19世紀末に日本を始めとした金の採掘により、金瓜石や九分は繁栄を極めました。日本時代の建築や金・銅の採掘から精錬に至った遺跡が今もなお残ります。

当会の会員であり、鳴門教育大学・大学院学校教育研究科 教授でおられる金野誠志様より、この度「価値多元社会における文化教育論」と題した書籍を発売されましたのでお知らせいたします。
金野先生は何度も台湾に足を運ばれ、世界遺産という「人類共通の価値」を例に、それが文化教育等の場でどのように使われ、学びに繋がるのかを研究なされていらっしゃります。
日本もそうですが、世界遺産を持つ国の世界遺産に関する教育や広報は、その地域や国家財産としての価値に傾注してしまいがちです。しかし本来、世界遺産は国家としての価値ではなく世界(人類)共通の価値を示すことに本質が置かれるはず。それでは、こうした世界遺産を持つ国ではなく、最近まで世界遺産を持たなかったシンガポール、そして世界遺産が登録されていない台湾の教育現場では、世界遺産はどのように教育されているのか。
書籍については以下をご参照いただき、ご関心ございましたらぜひお手に取ってみてください!
~金野先生からの紹介~
私の故郷は、広島県尾道市です。800年の歴史があり、特に中世、近世を通じて繁栄した日本を代表する港町でした。対明貿易船、北前船、瀬戸内海の航行船の寄港地として多くの豪商を生み、浄土寺、西国寺、千光寺など多くの寺社仏閣の寄進造営が行われた寺町でもありました。2002年当時の市長は、尾道の歴史や景観を活かしたまちづくりを推進しようと、世界遺産登録をめざす意向を明らかにしました。しかし、現実は厳しく、2007年には新市長の下で断念され、2015年に「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」として日本遺産に認定された経緯があります。
2013年まで小学校に勤めていた私は、尾道市が世界遺産登録をめざしていた期間、尾道の歴史や文化、景観などの素晴らしさを授業の中でも積極的に取り上げていました。しかし、世界遺産登録が断念されたということを知った子ども達の中には、「世界遺産になることができなかった尾道」ということで、「世界遺産よりも格下」という印象をもった子ども達もいたかもしれないと後に考えるようになりました。このようだと、世界遺産が最上位で、その次に日本遺産、そして地域の文化遺産といったような価値のヒエラルキーが形成されかねませんし、自分達を幼い頃から育んでくれた身近な地域遺産の保存や継承にもよい影響とはならないでしょう。
そもそも、世界遺産、日本遺産、地域遺産などの価値は、人類として、国民として、地域住民としての重要な価値基準が異なるため上下関係にありません。大切なことは、自分がその時々で、遺産の価値をどう理解し重視するかということではないかと思うのです。このようなことが、「台湾の潜在的な世界遺産」、とりわけ日本統治期につくられた物件について、私が学校教育と関連付けて考えてみたくなった契機です。これは、台湾人のアイデンティティ形成とも大いに関わっていると思われますし、今後、我
が国や日本人がどのように台湾と関わっていけばよいのか考える契機ともなるでしょう。
台湾での「潜在的な世界遺産」に関する学習は、物件がある地域ごとに独自に進められています。私の知る限りでは、新北市の全ての小・中学校で「淡水紅毛城及び周辺の歴史建築群」、嘉義市の嘉義市立林森小学校と国立嘉義大学附属小学校で「阿里山森林鉄道」、台南市の幾つかの学校で「烏山頭ダム及び嘉南大水路」を扱った授業が進められているようです。
このような実態を調査し、台湾と日本の学校それぞれに資する授業の方法及び内容を検討しているところです。この度、その研究の一端をまとめた拙著『価値多元社会における文化教育論国家-アイデンティティ、シティズンシップ-』を、明石書店から刊行していただきました。ご興味があるようでしたらお手にとってご笑覧いただければ幸いです。

小学館から1月29日に発売された平野久美子会長の新刊記念報告会を、当会主催で都内のレンタルスペースで開催しました!
初めに八田代表から平野会長の主な著作や当会の活動などについて述べたあと、平野会長本人から台湾の歴史や文化から生まれたクラフト(工芸品)をテーマにした本の内容や取材エピソードなどを紹介し
てもらいました。
また、会場では実際に工芸品を手に取ってもらいながら、説明や取材の苦労話しなどいただきました。
平野会長「台湾には『世界無形文化遺産級』の伝統行事や工芸や舞踊、歌唱などの伝統芸能がいろいろあるので、当社団としても現場に出向いたり楽習会で取り上げ、広く知らしめる活動をすることも意味があると思う」
書籍については以下をご参照いただき、ご関心ございましたらぜひ手に取ってください!
2024年9月のスタディーツアーで訪れる「烏山頭ダム」と同様のロックフィルダムである御母衣ダムの見学と、白川郷の教育委員会との会合で世界遺産登録経緯、維持保全と観光への活用等の苦労話、そして高山市での学芸員からの町並み保存の歴史など貴重な意見を伺いました。
《主な行程》
7月8日(月)高山駅集合(昼食)→荘川桜公園→御母衣ダム・地下発電所→御母衣旅館(宿泊)
7月9日(日)御母衣旅館出発→白川村訪問・交流会→白川郷散策(昼食)→高山祭屋台会館→古い町並み散策→解散

《荘川桜公園》
ダム湖に眠ってしまうはずであった樹齢400年以上と言われる老い桜2本を、初代電源開発総裁であった高碕達之介氏は「ダム湖の底に沈めたくない」という思いから、桜博士であった笹部新太郎氏や庭師の丹羽政光氏に要請。心を動かされた両名は移植が大変難しいと言われていた桜の移植を、工事関係者の間組とともに移動距離600m、高低差50m上に移植を行い、見事に桜が蘇っり、それは春には今でも見事な花を咲かせます。
世界遺産条約誕生のきっかけとなった、アスワンハイダム(エジプト)の建造におけるアブシンベル神殿の移築にも通じる話であり、参加した一同は実物の桜の木を目の前に、深い感銘を受けました。

《御母衣ダム・地下発電所》
「烏山頭ダム」と同様のロックフィルダムである電源開発㈱所有の「御母衣ダム」と「地下発電所」見学では、御母衣事業所内から地下発電所へ「インクライン」というケーブルカーで地下83mまで下り、普段見ることのできない地下発電所を見学できた貴重な経験でした。

《白川村観光振興課・教育委員会との交流会》
白川村では、事前に調整により、役場の会議室にて、観光振興課と教育委員会の方々と意見交換の時間を設けました。当会アドバイザーの飯島より「台湾世界遺産登録応援会」の取組みの概要説明の後、白川村から白川郷が世界遺産になったこれまでの経緯、住民の方々が村を誇りに感じられていること、合掌造りの集落保存と観光活用に苦労されている点などを質問形式で伺い、一同大変勉強になりました。また今後、台湾を訪れた際に世界遺産登録に向けて活動されている台湾の団体へのアドバイスの参考にもなりました。
その後、合掌造りに使用される「萱」の倉庫を特別見学し、萩町の合掌造り集落の案内とともに散策。火災から守る「放水銃」の実物も見せていただけました。地域の宝である合掌造りや自然環境を含めた景観を如何に保存していくか、その努力と観光における課題や対策も説明を受けました。
改めて、白川村役場観光振興課と教育委員会の皆様には、感謝申し上げたい。

《高山祭屋台会館・街並み散策》
高山市では、これも事前に調整し、ユネスコ無形文化遺産である「高山祭の屋台行事」などを学ぶため、高山市観光課と高山市史編纂に長年尽力された田中学芸員の案内いただきました。
「高山祭屋台会館」を皮切りに、古い町並みの解説を受けながら、中国の世界遺産で同じく歴史的町並みである「麗江の旧市街」と姉妹都市であること、町並み保存には祭屋台保存会や「屋台組」という組織が重要であること等を学びながら、ゆっくりと最終地点の高山陣屋まで歩きました。
2月10日(土)~12日(月)の3日間にわたり、東京駅丸の内KITTEビル地下1階にて開催した「台湾新年市」に、当会のブースを出展し、沢山のご来客をお迎えしました!
ブースでは台湾ビールやマンゴージュース、台湾のお弁当として人気の桶等のグッズの販売も好調でしたが、私たちは台湾世界遺産登録応援会として、会場の投影設備を使って2月10日(土)に台湾の鉄道について片木理事が、12日(月・祝)には烏山頭ダムについて八田代表が講演し、一般の方に加え、多くの会員も来場、立席のでる状況となりました。
多くのご来客、誠にありがとうございました!
また、応援にこられた会員の方々、お手伝いいただいたボランティアの方々に、この場を借りて、お礼申し上げます。



※本実施事業の詳細はコチラを参照ください
(敬称略 あいうえお順)お名前は許可をいただいた上で公開させていただいております。

当会では7月に阿里山を訪問し、その自然的、文化的な価値を学ぶとともに、地域の団体である阿里山世界遺産協会との交流から、失われた原生の森林を復活させる活動に賛同し、3本のヒノキの苗木を植えてきました(詳細はコチラ)。しかし失われた原生の森を取り戻すには更なる植林と時間が必要です。
阿里山国立公園のヒノキの森は、1906年に日本の藤田組が着工した阿里山鉄道によって製材のために伐採が始まりました。藤田組の撤退は早かったようで、1910年に台湾総督府が工事を引き継ぎますが、日本統治下であった時代も含め1945年まで伐採が続いた結果、現在では千年以上の巨木はほとんど失われてしまったとされています。
阿里山のヒノキは、日本の本土においても神社建築材を中心に建材として使われることになりました。なお、日本の本土で使われたのはその一部であり、台湾における家屋や海外にも輸出されていたとする分析もあります。
なおこの時、ただ伐採しただけではなく、平行して造林も進められました。現地での植栽試験の結果、初期成長が最も優れていた日本原産のスギが選ばれ、伐採地に積極的に植えられたようです。ただ、スギの植林をして伐採を始めると、成長が早く年輪幅が広くなってしまい、加えて心材色が黒くなるという問題も発生しました。そこで、外来種から在来種への樹種転換が図られるようになり、近年になって阿里山でもスギを伐採してベニヒノキに改植する動きが出てきています。

こうした背景を踏まえ、阿里山鉄道の開発と伐採した木材によって恩恵を受けた日本としても、改めて原生の森をよみがえらせることに対して、当会も積極的に貢献していきたいと考えます。世界遺産登録には、その森が自然環境本来の価値を保全しているかが重要な観点の一つになります。地域のため、そして世界遺産への登録を目指す未来のために、ヒノキの森林の再生にご協力をお願いします。
以下のページよりご確認ください!
https://camp-fire.jp/projects/view/716600
7月に実施した阿里山スタディツアーと檜の植樹事業等を通して、当会は阿里山を世界遺産に推し進める民間団体「阿里山世界遺産協会」とお互いに協力して学び合い、その価値を広めていくことを賛同しました。
その際に、阿里山世界遺産協会が伝えたいことは、阿里山森林鉄道とともに、檜の伐採から運搬、そして製材までの一連の過程を「文化的景観」としている点であることを学びました。
そこで今回11月18日に、当会アドバイザーの飯島より「ユネスコの定義する文化的景観」について、日本における石見銀山の登録事例を参考にしながら、より具体的事例を話すとともに、協会からは7月に体験できなかった「阿里山の製材所の歴史」を学ぶ相互勉強会を実施しました。
ご参加いただいた会員の皆様、ありがとうございました。

