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【報告】7/8-9実施 ミニスタディツアー 飛騨(白川村、御母衣ダム、高山市)に行ってきました!

2024年9月のスタディーツアーで訪れる「烏山頭ダム」と同様のロックフィルダムである御母衣ダムの見学と、白川郷の教育委員会との会合で世界遺産登録経緯、維持保全と観光への活用等の苦労話、そして高山市での学芸員からの町並み保存の歴史など貴重な意見を伺いました。

《主な行程》

7月8日(月)高山駅集合(昼食)→荘川桜公園→御母衣ダム・地下発電所→御母衣旅館(宿泊)

7月9日(日)御母衣旅館出発→白川村訪問・交流会→白川郷散策(昼食)→高山祭屋台会館→古い町並み散策→解散

《荘川桜公園》

 ダム湖に眠ってしまうはずであった樹齢400年以上と言われる老い桜2本を、初代電源開発総裁であった高碕達之介氏は「ダム湖の底に沈めたくない」という思いから、桜博士であった笹部新太郎氏や庭師の丹羽政光氏に要請。心を動かされた両名は移植が大変難しいと言われていた桜の移植を、工事関係者の間組とともに移動距離600m、高低差50m上に移植を行い、見事に桜が蘇っり、それは春には今でも見事な花を咲かせます。

 世界遺産条約誕生のきっかけとなった、アスワンハイダム(エジプト)の建造におけるアブシンベル神殿の移築にも通じる話であり、参加した一同は実物の桜の木を目の前に、深い感銘を受けました。

《御母衣ダム・地下発電所》

 「烏山頭ダム」と同様のロックフィルダムである電源開発㈱所有の「御母衣ダム」と「地下発電所」見学では、御母衣事業所内から地下発電所へ「インクライン」というケーブルカーで地下83mまで下り、普段見ることのできない地下発電所を見学できた貴重な経験でした。

《白川村観光振興課・教育委員会との交流会》

 白川村では、事前に調整により、役場の会議室にて、観光振興課と教育委員会の方々と意見交換の時間を設けました。当会アドバイザーの飯島より「台湾世界遺産登録応援会」の取組みの概要説明の後、白川村から白川郷が世界遺産になったこれまでの経緯、住民の方々が村を誇りに感じられていること、合掌造りの集落保存と観光活用に苦労されている点などを質問形式で伺い、一同大変勉強になりました。また今後、台湾を訪れた際に世界遺産登録に向けて活動されている台湾の団体へのアドバイスの参考にもなりました。

 その後、合掌造りに使用される「萱」の倉庫を特別見学し、萩町の合掌造り集落の案内とともに散策。火災から守る「放水銃」の実物も見せていただけました。地域の宝である合掌造りや自然環境を含めた景観を如何に保存していくか、その努力と観光における課題や対策も説明を受けました。

改めて、白川村役場観光振興課と教育委員会の皆様には、感謝申し上げたい。

《高山祭屋台会館・街並み散策》

 高山市では、これも事前に調整し、ユネスコ無形文化遺産である「高山祭の屋台行事」などを学ぶため、高山市観光課と高山市史編纂に長年尽力された田中学芸員の案内いただきました。

 「高山祭屋台会館」を皮切りに、古い町並みの解説を受けながら、中国の世界遺産で同じく歴史的町並みである「麗江の旧市街」と姉妹都市であること、町並み保存には祭屋台保存会や「屋台組」という組織が重要であること等を学びながら、ゆっくりと最終地点の高山陣屋まで歩きました。

 

【報告】8/4実施楽習会 「二峰圳の地下ダムと石板屋集落」

沢山のご参加ありがとうございました

 2019年8月4日、第6回楽習会は、鳥居徹先生(東京大学フューチャーセンター推進機構特任教授)により、鳥居信平氏が台湾で築かれた2つの地下ダム「二峰圳」と「力力渓」を主軸に、灌漑用水はどのように台湾製糖における役割を担ったのかを講演いただきました。

 下記に簡単にご報告いたします。

楽習会の様子

■屏東県に今なお残る鳥居信平の2つの地下ダム

屏東県来義郷には「林辺渓」という川があるが、古くから乾季には干上がってしまい、灌漑用水としての利用には適さない環境があった。鳥居信平は1920年にこの川の地下を流れる伏流水をせき止めることで、年中濁流になることのない真水を提供できることを考案して二峰圳という地下ダムを建設した。また3年後には春日郷の「力力渓」にも大きな地下ダム(力力渓水圳)を建築した。彼の設計したこれらの地下ダムによって下流に広がる農場は4,000haにもなり、これによって明治以降日本が発展に寄与した台湾製糖事業に大きく貢献することになる。かつての日本経済にとっても、台湾経済においても重要な役割を果たしたのだ。

■鳥居信平の功績

1920年の「二峰圳」地下ダム建造までには様々な経験を海外で積んでいたようだ。特に1918年からの2年間は、あの後藤新平の紹介などにより東南アジアを視察しており、中でもジャワ島における農林業は日本よりも進んだ技術もあったようで、どの時期に何を蒔くのが最も効果的かを図る技術は、台湾製糖にも活かされた。インドネシアの棚田と言えば「スバックシステム」という独自の水利システムと宗教・哲学的思想が結びついてできたバリ島の棚田の景観は、世界遺産に登録されている。

1923年には「力力渓水圳」の地下ダムも起工となるが、その3年後の1926年1月には竣工となり、その地下ダムによって供給される大呴(キョウ)営農場は,1700haの大きさで、現在でも多くが農地として使われている。

屏東の石板屋集落

■10月のスタディツアーで訪れてみよう

今回の2つのダムは地下を流れるので基本的に見ることはできないが、10月実施予定の屏東県スタディツアーでは力力渓水圳にて伏流水を集める進水塔等をみることができる予定だ。また春日郷と言えば台湾の世界遺産候補地の一つである、老七佳村の石板屋集落。パイワン族の集落で  、今回の楽習会でもどんな場所なのか、写真を見ることができた。ツアーでは実際に訪れる予定なので、ぜひ通常行くことができない屏東県のスポットに訪れてみてはいかがだろうか?

飯島記

【報告】12/1実施ミニスタディツアー 富岡製糸場と絹関連遺産群

世界遺産 「富岡製糸場と絹関連遺産群」 ミニスタディーツアーに行ってきました!

 2018121日、世界遺産の登録の経緯を先達から学ぶべく、 2014年に世界遺産登録された「富岡製糸場と絹関連遺産群」へのミニス タディーツアーを開催しました。

 「富岡製糸場」は明治維新後、開国によって西洋の近代国家の仲間入りが喫緊の課題であった当時の日本政府が、すでに輸出していた生糸を軸に貿易 拡大の為に、伝統的養蚕技術に代わる器械製糸技術を導入し、初の官営となる製糸場として誕生しました。 ここでの技術はその後日本各地に広がり、同じく大きく通風を重視した蚕の育成法を確立した「田島弥平の旧宅」、通風と温度管理を調和させた「高山長五郎の生家=高山社跡」1905年に建造された国内最大規模の天然の蚕の卵の保存施設「荒船風穴」を含めた計4か所が構成資産として2014 年に世界遺産に認定されたのです。

↑ 高山社跡

 

一般的な観光は、上州富岡駅からアクセスの良い「富岡製糸場」ですが、今回は世界遺産登録の経緯を学ぶべく、丸一日かけて車にて「田島弥平の旧宅」、「高山社跡」も見学しました。

特に田島弥平旧宅では専門ガイド、高山社跡では、その歴史的価値・世界遺産としての価値を伝える高山社顕彰会の方にもお時間を頂戴し、世界遺産登録までの経緯や、ICOMOSや国が求める真正性を裏付ける民間での調査など、様々なお話を頂戴しました。

 

 

世界遺産申請にはストーリーが重要。

 富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録は、当初案は10件の資産が候補でしたが、その中に前記の田島弥平旧宅は含まれていなかったようです。もともと産業革命にかかわる工場・建築物を主体として申請を検討していたものの、「絹産業を世界に広めた文化交流」「絹産業の 技術発展」を示す為には、建築物だけではなく、それらを構成するストーリーが必要となり、急遽、蚕の育成法を広めた田島家に 白羽の矢が立ったそうです(ちなみに高山社は世界遺産登録のためのICOMOS調査の際、満点の評価を受けたとのこと)。

 最終的には、ICOMOSの調査により、 田島弥平の貢献や長五郎の影響が、日本だけでなく、アジア・ヨーロッパ・アメリカに影響 を及ぼしたという点が重視されての登録となりました。世界遺産の登録にはどのような登録基準を目指し、どのようにストーリー立てていくのかが重要だと感じたツアーでした。(飯島 記)