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【報告】8/4実施楽習会 「二峰圳の地下ダムと石板屋集落」

沢山のご参加ありがとうございました

 2019年8月4日、第6回楽習会は、鳥居徹先生(東京大学フューチャーセンター推進機構特任教授)により、鳥居信平氏が台湾で築かれた2つの地下ダム「二峰圳」と「力力渓」を主軸に、灌漑用水はどのように台湾製糖における役割を担ったのかを講演いただきました。

 下記に簡単にご報告いたします。

楽習会の様子

■屏東県に今なお残る鳥居信平の2つの地下ダム

屏東県来義郷には「林辺渓」という川があるが、古くから乾季には干上がってしまい、灌漑用水としての利用には適さない環境があった。鳥居信平は1920年にこの川の地下を流れる伏流水をせき止めることで、年中濁流になることのない真水を提供できることを考案して二峰圳という地下ダムを建設した。また3年後には春日郷の「力力渓」にも大きな地下ダム(力力渓水圳)を建築した。彼の設計したこれらの地下ダムによって下流に広がる農場は4,000haにもなり、これによって明治以降日本が発展に寄与した台湾製糖事業に大きく貢献することになる。かつての日本経済にとっても、台湾経済においても重要な役割を果たしたのだ。

■鳥居信平の功績

1920年の「二峰圳」地下ダム建造までには様々な経験を海外で積んでいたようだ。特に1918年からの2年間は、あの後藤新平の紹介などにより東南アジアを視察しており、中でもジャワ島における農林業は日本よりも進んだ技術もあったようで、どの時期に何を蒔くのが最も効果的かを図る技術は、台湾製糖にも活かされた。インドネシアの棚田と言えば「スバックシステム」という独自の水利システムと宗教・哲学的思想が結びついてできたバリ島の棚田の景観は、世界遺産に登録されている。

1923年には「力力渓水圳」の地下ダムも起工となるが、その3年後の1926年1月には竣工となり、その地下ダムによって供給される大呴(キョウ)営農場は,1700haの大きさで、現在でも多くが農地として使われている。

屏東の石板屋集落

■10月のスタディツアーで訪れてみよう

今回の2つのダムは地下を流れるので基本的に見ることはできないが、10月実施予定の屏東県スタディツアーでは力力渓水圳にて伏流水を集める進水塔等をみることができる予定だ。また春日郷と言えば台湾の世界遺産候補地の一つである、老七佳村の石板屋集落。パイワン族の集落で  、今回の楽習会でもどんな場所なのか、写真を見ることができた。ツアーでは実際に訪れる予定なので、ぜひ通常行くことができない屏東県のスポットに訪れてみてはいかがだろうか?

飯島記

【報告】12/1実施ミニスタディツアー 富岡製糸場と絹関連遺産群

世界遺産 「富岡製糸場と絹関連遺産群」 ミニスタディーツアーに行ってきました!

 2018121日、世界遺産の登録の経緯を先達から学ぶべく、 2014年に世界遺産登録された「富岡製糸場と絹関連遺産群」へのミニス タディーツアーを開催しました。

 「富岡製糸場」は明治維新後、開国によって西洋の近代国家の仲間入りが喫緊の課題であった当時の日本政府が、すでに輸出していた生糸を軸に貿易 拡大の為に、伝統的養蚕技術に代わる器械製糸技術を導入し、初の官営となる製糸場として誕生しました。 ここでの技術はその後日本各地に広がり、同じく大きく通風を重視した蚕の育成法を確立した「田島弥平の旧宅」、通風と温度管理を調和させた「高山長五郎の生家=高山社跡」1905年に建造された国内最大規模の天然の蚕の卵の保存施設「荒船風穴」を含めた計4か所が構成資産として2014 年に世界遺産に認定されたのです。

↑ 高山社跡

 

一般的な観光は、上州富岡駅からアクセスの良い「富岡製糸場」ですが、今回は世界遺産登録の経緯を学ぶべく、丸一日かけて車にて「田島弥平の旧宅」、「高山社跡」も見学しました。

特に田島弥平旧宅では専門ガイド、高山社跡では、その歴史的価値・世界遺産としての価値を伝える高山社顕彰会の方にもお時間を頂戴し、世界遺産登録までの経緯や、ICOMOSや国が求める真正性を裏付ける民間での調査など、様々なお話を頂戴しました。

 

 

世界遺産申請にはストーリーが重要。

 富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録は、当初案は10件の資産が候補でしたが、その中に前記の田島弥平旧宅は含まれていなかったようです。もともと産業革命にかかわる工場・建築物を主体として申請を検討していたものの、「絹産業を世界に広めた文化交流」「絹産業の 技術発展」を示す為には、建築物だけではなく、それらを構成するストーリーが必要となり、急遽、蚕の育成法を広めた田島家に 白羽の矢が立ったそうです(ちなみに高山社は世界遺産登録のためのICOMOS調査の際、満点の評価を受けたとのこと)。

 最終的には、ICOMOSの調査により、 田島弥平の貢献や長五郎の影響が、日本だけでなく、アジア・ヨーロッパ・アメリカに影響 を及ぼしたという点が重視されての登録となりました。世界遺産の登録にはどのような登録基準を目指し、どのようにストーリー立てていくのかが重要だと感じたツアーでした。(飯島 記)