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代表辞任のご挨拶

平野 久美子 

 2013年の設立当初から理事を、再スタートをきった2018年からは代表理事を務めて参りましたが、2020年6月末日をもって八田修一さんに引き継ぐことに致しました。7年の間お世話になり有り難うございました。心より皆様にお礼を申し上げます。

 私が台湾における世界遺産登録運動を知ったのは2000年に入って間もない頃でした。別件の取材で訪れた宜蘭県で、棲蘭山のヒノキ原生林を守る市民運動の方々から保存運動の一環として、世界遺産の候補地登録を目指していると聞いたことが最初です。ご存じのように台湾は国連加盟国ではありませんから、彼らの目標は「言うは易し、行うは難し」の典型だなと思ったものです。

 ところが、2003年に当時の民進党政権が12カ所の候補地を選定し、その中に棲蘭山も含まれたことを知り、宜蘭県の皆さんの環境保全に対する熱意と地元愛を強く感じました。以後、文化部文建委員会が中心となり候補地は18カ所に増え、台南県の烏山頭ダム、新北市の楽生院、阿里山の登山鉄道、三義ー豊原間を走っていた台鉄旧山線、基隆に近い水金九鉱業遺跡などが文化遺産候補地になったのです。それらは日本統治時代の建築物であることもわかりました。

さらにさらに・・・・。2013年に富士山が世界遺産に登録されたとき、台湾の日本語世代の方々はわがことのように喜んでくれました。 こうしたことが私の背中を押し、台湾の世界遺産登録運動を、影ながら応援しようと心に決めました。そこで、現在は台北在住の理事辛正仁さんと、都内の駐日経済文化代表処を訪ね、それから台中の文化部文化資産局を訪問して、日本からこうした活動をしたい旨を伝えご意見を聞いて廻りました。それは、私たちが目指したのは台湾側と協調しながら進める啓蒙運動であり、世界人類にとって保存すべき遺産、という文化活動であると思ったからです。その観点からそれて政治的な意味合いでこの活動が捉えられたりしたら本意ではありません。

 話し合いの結果、普遍的価値がありながら知られざる台湾の自然環境、独特の歴史と文化、それを長い間慈しみ守ってきた人々を知らしめる活動なら、ぜひ日本側からも力を貸して欲しいというお言葉を頂きました。それが私たち社団のスタートラインです。このことをどうぞ会員の皆様にも共有して頂き、今後、新しい発想と方法論で、“世界の宝”である台湾の優れた景勝地や文化遺産を日本中に知らせ、現地を訪れて台湾をさらに深く知り、地元の方々と交流を図る文化活動を盛んにして頂きたいと存じます。

 最初は手探りで始めた当社団も現在は100名近い仲間が増え、中部支部、大阪支部も誕生しました。これもひとえに会員の皆様おひとりおひとりの台湾愛と、ボランティアで支えて下さる理事、監事、事務局長のおかげです。今後ともよろしくお願いいたします。

 「ひとりで見る夢は単なる夢で終わるが、みんなでみる夢は実現する」という言葉がありますね。いつの日か台湾から世界遺産が生まれることを夢見て、みんなで楽しく活動いたしましょう。

 最後になりましたが、新型コロナウィルスの感染がなかなか収束に向かわぬ中、どうぞご健康に留意なさいますように。会員の皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

第6回 楽習会「淡水の紅毛城とマカイ博士の残した軌跡」冒頭部分公開

7/11(土)に実施致しました、オンライン楽習会の内容について、youtubeに動画公開をいたしました!

下記は一般公開可能な、約10分ほどの冒頭部分のみとなります。なお当会会員様には別途、全記録約1時間10分の内容を別途配信してまいります。

当会へのご入会希望、あるいは上記動画等への問い合わせについては、当サイト「入会のご案内」あるいは「お問い合わせ」よりメッセージをお願い申し上げます。

【報告】6/28 総会+7/11楽習会

当会初のオンライン総会並びに楽習会を開催しました!

コロナウイルスによって延期に延期を重ねてまいりましたが、技術の進歩もあって、この度は当会においてはじめて、オンラインという形で実施することができました。

ご参加いただいた皆様、大変ありがとうございました。また理事皆様におかれましては大変お疲れ様でした。

■6/28に開催いたしました定時総会では、参加が困難であった方々もいらっしゃりましたが、

オンライン参加を含め15名、議決権行使12名、委任68名で、総社員数96名の過半数となったので総会は成立致しました。一部ご質問や確認事項はありましたが、すべての議案で承認されました。

■7/11に開催いたしました第6回楽習会「淡水の紅毛城とマカイ博士の残した軌跡」については会場10名、オンライン20名の計30名の会員にご参加いただきました。

今後も会としましては、オンラインも含めて活動の幅を広げてまいる所存です。

詳細は別途告知致しますが、8月には国立ハンセン病資料館の見学遠足、10月末には淡水と楽生院を含めたスタディツアーも予定しておりますので、引き続きご期待くださいませ!

それでは皆様、今後とも当会をよろしくお願い申し上げます。

(飯島記)

第六回 楽習会「紅毛城と、馬偕牧師の残した奇跡」のご案内 →7/11実施のご連絡

2/21より延期させていただいていた、下記イベントを7月11日(土)に実施致します。今回よりオンラインでの参加も受け付けますので、ぜひご参加くださいませ。

紅毛城

 

 

 

 

●日時:2020年7月11日(土)15:00講演開始(講演約1時間、そのほか含め2時間予定)

●会場:新橋ビジネスフォーラム 8階

●講演内容:

台北駅からMRTで淡水駅、そこからバスで少しいった先に位置する、海岸沿いにひときわ目立つ紅色の城は、1644年に建て替えたオランダ人によるレンガ造りの要塞に近いお城。

レンガ造りであることはほとんどの方がイメージできると思いますが、レンガはどこから来たのか?内部の建築はどんな様式なのか?一部日本との関わりのある名残があることをご存知でしょうか。

また、世界遺産候補地の名称としては「紅毛城および周辺の歴史建築群」です。

紅毛城以外の建築とはどんなものが候補になっているのか。そこにはカナダからはるばるやってきた

馬偕(Mackey)牧師

による教会、病院、そしてお墓まで、彼の台湾における一生が垣間見える遺跡が残されています。

今回は一昨年下見をしてきた理事による下見報告もかねて、また今年度予定している「淡水エリアと楽生院」スタディツァーの事前学習としてもご活用いただける内容になっています。

万障お繰り合わせの上ぜひご出席ください。

なお、会の終了後に懇親会も予定しています。

●講演:飯島 一隆(世界遺産検定 世界遺産アカデミー認定講師・当社団理事)

●参加費:無料

※参加についてはZOOMを利用したオンライン参加も可能です。いずれも下記よりご希望をご入力くださいませ。


    参加する参加しない

     

    【報告】12/21 総会+忘年会☆

    19年度の活動報告、並びに忘年会は大盛況!ビンゴゲームも盛り上がりました!

    早いもので今年も残すところ2週間を切りました。

    2019年度は当会においても活動再開2年目を迎え、楽習会に中部地区の発足、石見銀山へのミニスタディツアー、

    そして何といっても10月に実施した屏東県へのスタディツアーが大盛況に終わり、活動多き1年となることができました。

    これもひとえに会員の皆様の厚いご支援、ご協力のおかげであり、

    理事一同感謝申し上げます。

    さて次年度はさらに当会の活動の幅を広げるべく、第三回スタディツアーや会報含めてイベント実施を検討してまいります。

    引き続きご期待くださいませ!

    それでは皆様、良いお年を、そして来年もよろしくお願い申し上げます。

    (飯島記)

    【報告】8/4実施楽習会 「二峰圳の地下ダムと石板屋集落」

    沢山のご参加ありがとうございました

     2019年8月4日、第6回楽習会は、鳥居徹先生(東京大学フューチャーセンター推進機構特任教授)により、鳥居信平氏が台湾で築かれた2つの地下ダム「二峰圳」と「力力渓」を主軸に、灌漑用水はどのように台湾製糖における役割を担ったのかを講演いただきました。

     下記に簡単にご報告いたします。

    楽習会の様子

    ■屏東県に今なお残る鳥居信平の2つの地下ダム

    屏東県来義郷には「林辺渓」という川があるが、古くから乾季には干上がってしまい、灌漑用水としての利用には適さない環境があった。鳥居信平は1920年にこの川の地下を流れる伏流水をせき止めることで、年中濁流になることのない真水を提供できることを考案して二峰圳という地下ダムを建設した。また3年後には春日郷の「力力渓」にも大きな地下ダム(力力渓水圳)を建築した。彼の設計したこれらの地下ダムによって下流に広がる農場は4,000haにもなり、これによって明治以降日本が発展に寄与した台湾製糖事業に大きく貢献することになる。かつての日本経済にとっても、台湾経済においても重要な役割を果たしたのだ。

    ■鳥居信平の功績

    1920年の「二峰圳」地下ダム建造までには様々な経験を海外で積んでいたようだ。特に1918年からの2年間は、あの後藤新平の紹介などにより東南アジアを視察しており、中でもジャワ島における農林業は日本よりも進んだ技術もあったようで、どの時期に何を蒔くのが最も効果的かを図る技術は、台湾製糖にも活かされた。インドネシアの棚田と言えば「スバックシステム」という独自の水利システムと宗教・哲学的思想が結びついてできたバリ島の棚田の景観は、世界遺産に登録されている。

    1923年には「力力渓水圳」の地下ダムも起工となるが、その3年後の1926年1月には竣工となり、その地下ダムによって供給される大呴(キョウ)営農場は,1700haの大きさで、現在でも多くが農地として使われている。

    屏東の石板屋集落

    ■10月のスタディツアーで訪れてみよう

    今回の2つのダムは地下を流れるので基本的に見ることはできないが、10月実施予定の屏東県スタディツアーでは力力渓水圳にて伏流水を集める進水塔等をみることができる予定だ。また春日郷と言えば台湾の世界遺産候補地の一つである、老七佳村の石板屋集落。パイワン族の集落で  、今回の楽習会でもどんな場所なのか、写真を見ることができた。ツアーでは実際に訪れる予定なので、ぜひ通常行くことができない屏東県のスポットに訪れてみてはいかがだろうか?

    飯島記

    “赤本”、玉山へ登頂する!

    “赤本”、玉山へ登頂する!

    写真提供・割田毅信様
    写真提供・割田毅信

    「赤本」こと『台湾世界遺産級案内』を携帯して、本に記載されている世界遺産候補地、台湾最高峰「玉山」へ登頂してきた割田さまから、嬉しい写真を頂きました。標高3952メートルの頂上に一緒に到達した様子をご覧下さい。

    台湾のご友人らと初の玉山登山をなさった割田さまは、予備知識として赤本が役立ったこと、残りの世界遺産候補地17カ所も是非訪ねてみたいと思っていることを話して下さいました。
    皆様もぜひ、赤本片手に、世界遺産級の台湾の景観や歴史を巡ってみてくださいね。また、会員の皆様からの投稿も歓迎したいと思います、その際はぜひ当ホームページのお問合せからご連絡くださいませ。

    ※登頂の様子を動画バージョンでもぜひご覧ください。

    動画はこちらをクリック

     

     

     

     

    第二回スタディツアー「台湾最南端・屏東へ!」いよいよ10月実施、好評につき残席わずか!

    パイワン族の伝統家屋「石板屋」と恒春半島の歴史と文化を巡る旅!

    ―世界遺産候補地パイワン族の伝統家屋から驚異の地下ダム、牡丹社事件、そして夜市までー

    5/18開催の第五回楽習会にてご案内しました社団主催スタディツアーの第二回「パイワン族の伝統家屋「石板屋」と恒春半島の歴史と文化を巡る旅」がいよいよ10月12日~15日で実施されます。

    屏東の石板屋集落

    今回も盛りだくさんの内容ですが、世界文化遺産候補のひとつ、パイワン族とルカイ族の伝統家屋「石板屋」を訪ねます。 県内にはいくつかの石板屋の廃村がありますが、比較的保存状態のよい春日郷老七佳村へ行き、国立屏東大学の専門家からレクチャーを受けながら文化財としての価値を学び、保存状態を視察します。こうした機会はなかなかありません。

    その後、恒春半島を舞台に起きた、牡丹社事件(1871年、 1874年)の史跡も巡ります。 日本と台湾の近代史において忘れてはならない事件。19 世紀末の台湾で何が起きていたのか? 恒春半島は台湾近代史の証人です。

    *なお『牡丹社事件・マブイの行方 日本と台湾それぞれの和解』(平野久美子著、集広舎刊)を事前にお読みくださると、 ツァーで巡るそれぞれの史跡が、よりご理解いただけると思います。

    また、大正時代に台湾製糖の水利技師として活躍した鳥居信平が造った地下ダムへもご案内。自然との共生を見事に設計に生かした水の奇跡をその目でご覧ください。さらに、四重渓温泉、屏東の夜市、東龍宮、東港からとれるマグロの刺身などなど、見所とお楽しみがいっぱいですよ!

    好評につき残席はあとわずかとなりましたが、ご参加をご希望の方は、まずお問合せページよりご連絡くださいませ。

    【報告】中部支部発足

    名古屋開催 第四回「中部地区の集い」にて、中部支部発足

    梅雨空の中、名古屋では6/28に4回目となる会員の集いを開催しました。 中部地区会員(愛知・三重・岐阜)は現在14名、内10名と2名のゲストが参加し、5月総会で決定した支部会規定に基づき中部支部として発足、支部長・副支部長 を含む7名の理事が選出されました。ご報告いたします。

    今回の会場は中華料理 栄吉飯店(名古屋市中区栄)、2時間30分食べ放題・飲み放題というゆったりたっぷりコースで全員大満足・大満腹。長野からご参加いただいた方もいらっしゃりました!!

    中部にお住まいの方でご興味がありましたら、ぜひご連絡くださいませ。

    お問合せは当hpにてメッセージをお願いいたします。

    (八田記)

    【報告】3/17実施楽習会 「世界遺産石見銀山と九份・瑞芳金山」

    沢山のご参加ありがとうございました

     2019年3月17日、第四回楽習会は、わが国が誇る世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」と、台湾九份・金瓜石の金山について、世界遺産アカデミー認定講師であり、当会理事である飯島一隆より、実際に足を運んで体験したこと、現地で実踏調査により学んだことを踏まえて講演致しました。

     下記に簡単にご報告いたします。なお、会員の方には専用の会報にて、さらなる詳細を記載しております。

    ↑石見銀山を遠方に

    ■藤田組による鉱山開発

    島根県大田市に位置する石見銀山遺跡は、16世紀に朝鮮半島を渡って伝播した灰吹法による銀の精錬技術により、良質で大量の銀が採掘され、最盛期にはヨーロッパまで銀が流通し、文化の交流が見て取れるとして、2007年に「石見銀山とその文化的景観」として世界遺産に登録されます。

    一方でこの石見銀山には、明治時代に藤田組(現DOWAホールディングス)により築き上げた銀の精錬所跡「清水谷製錬所跡」を含むのですが、当時の藤田組が、じつは台湾でも同じように鉱山開発を行ったところがありました。それが台湾の世界遺産登録を目指す18ヵ所の候補地の一つ、金瓜石の鉱山だったのです。

    ■構成資産 銀山柵内に含まれる「清水谷製錬所」と金瓜石「十三層遺跡」

     石見銀山では、14か所の構成資産のうち、観光で最も訪れる機会の多い「銀山柵内」が世界遺産登録の中核の一つになっています。そしてそのエリアに含まれるのが、清水谷製錬所です。石見銀山としての観光スポットとしてはメインではないかも知れませんが、ここが台湾と大きなつながりがあったのです。

    ↑清水谷製錬所跡

    清水谷製錬所は、明治28年に藤田組が20万円(現在では約20億円)かけて作ったもので、富岡製糸場が24万円だったことからも、かなりの資金を投入して造ったことになります。精錬法は当時の藤田組の任命による、武田恭作が編み出したもので、精錬所も藤田組が作り上げたものです。しかしわずか1年半で銀が想定ほど産出されないことが判明し、操業停止となりました。

    その一方藤田組は、ほぼ同時期に台湾へ進出します。とりわけ1896年から1916年の20年間は瑞芳鉱山の開発に力を尽くしたようです。まさに清水谷製錬所の段々になっている台地は、金瓜石の十三層遺跡とそっくりです!

    ↑金瓜石 十三層遺跡

    1890年、かつて金瓜石を含む水湳洞では、偶然にも砂金が見つかったことに端を発し、清国による砂金局を設置されます。日清戦争後、1896年日本政府による藤田伝三郎に瑞芳と九份、田中長兵衛に金瓜石の採掘権を与え、藤田組は石見銀山から、瑞芳山への技術者や管理職を派遣することとなりました。

    ただ思わしい結果が出なかったために撤退しますが、石見銀山と金瓜石、遠く離れていても、清水谷製錬所跡からは金瓜石にそびえる十三層遺跡を連想させてくれますね!

    ■日本と台湾、ともに手を取って相互交流を

    石見銀山調査の際に、「石見銀山ガイドの会」の会長含め、様々にお話をいただく機会がありました。当会についての目的と活動について話をしたところ、とても興味深い、ぜひ会全員でお越しください、とおっしゃっていただけました。過去大田市と金瓜石黄金博物館とで共同のシンポジウムを開いたことがあるそうですが、その後大田市の職員が金瓜石に訪問し、さらにその後、ガイドの会も数名金瓜石を訪れたそうで、その時の感動は今でも覚えているという話も聞きました。今一度、今度は国や県、市ではなく、私たち民間で金瓜石と石見銀山の相互交流を図っていくのもいいかもしれません。